誰と誰がつながって、何と何がつながって、どこへ向かっていくのかよく分からずに生きているから、きっとこの物語も、私の日々の縮図のように、アウトラインの見えない物語になると思う。
ミーティングの議事録を残すことは簡単です。けれども、本当に残しておきたいことは、その周りにあるものなんだよ。なぜその話をしたのかとか、その話をしながら考えていた別のこととか。同じ場所にあったもののこと、聞こえてきた音のこと。覚えておきたいことがあるのです。
それらは、前もって決められた物語の伏線なのではなくて、後から振り返ったときに、結果として、伏線のように見える。かもしれないし、そうじゃないかもしれない。あらゆる可能性を含めて、今、覚えていることを、そして、またいつか思い出したいことを、ここに書いておこうと思います。
7月20日午後、アーティストの中島佑太くんと「遠藤一郎:隅田川いまみらい郷土資料館」を見に行った。アサヒビールの本社の隣にある、すみだリバーサイドホールのギャラリーでその展示は行われていた。浅草駅から橋を渡って、向こう側へ渡るとき、同じ風景を以前見たことを思い出した。農業と食に関するシンポジウムで来たんだと思う。
ホールの入口の前では、4歳くらいの男の子がお母さんと一緒に凧揚げをしていた。ビニールか何かでできた真っ赤な凧。凧はお母さんの顔の高さくらいまで揚がっていて、私は、ちゃんと風が吹いていることに、そのとき初めて気づいた。とても暑かったから、風が吹いていることに気づかなかったんだ。そして、風=涼しいというイメージを自分が持っていることを自覚した。そうとも限らないのだけれど。
そこは墨田区の区民センターで、地下1階の隅っこにギャラリーがあった。ギャラリーの広さはどれくらいだっただろう。こういうとき「何平米くらい」とか「教室何個分」とパッと言うことができない。
床には隅田川を模した青い布製ものが敷かれていて、それを踏んでよいものかどうか、私は一瞬ためらった。すでに中にいたお客さんが川の上を歩いていたので、私も川の上に乗った。正面左手の壁には地図が貼られていて、それを見て私は何か納得した。その作品がどういう性格のものかということを、その地図で理解したのだと思う。奥のガラスにはたぶんタイトルが、ペンキか何かで書かれていた。会期が終わった後にそれを落とす作業のことを、なんとなく考えていた。
ここまで読んでうすうす気づきはじめていると思うけれど、私の日誌はとにかく長いよ。これでも短くしてるつもりなんだ。フィールドノーツはもっと描写が細かくて長い。言ってみれば、これは、フィールドノーツを圧縮して、物語にしたエスノグラフィーみたいなもの。
まぁ、とにかく、私たちは作品を見はじめた。パネルによれば、80年計画で隅田川のことを考えるすみだアートプロジェクトの一環で行われた、隅田川流域をたどる調査団の記録といったところ。今年はその2年目。おそらくメンバーが歌っていると思われる隅田川の歌が入口真上のスピーカーから聞こえていた。そのときギャラリーには2人のスタッフがいて、そのうちの一人でプロジェクトメンバーの海野さんが、チラシと資料を渡してくれた。海野さんが「すみだアートプロジェクトって知ってますか?」と尋ねたのに対して「知りません!」と答えた中島くんの口調が、とてもしっかりはっきりしていて、なんだか小学生みたいでかわいいお返事だと思った。
隅田川の水で書いたあぶり出しの風景画。その下に200本近いビンが置いてあって川の水が入っている。私は川のどの位置でその水が採られたのかを知りたかった。ビンには番号が振ってあったけれど、地図には番号がなく、足元の川にも番号はなく、番号札が宝探しのように隠されている気配もなく、知る手がかりはついに得られなかった。
あぶり出しの絵を中島くんはわりと長いこと見ていたように思う。私はさっさとゴミの山に向かった。隅田川流域に落ちていたゴミを集めて、キャプションをつけて展示している。虫取りかごと虫取り網、スケートボード、空き缶、空き瓶、ペットボトル。さかさまに置かれたシルバー自転車。不法駐輪の貼り紙が貼ってある。それから扉の取れた冷蔵庫、時計だけまだ動いている炊飯器。「3:24」と表示されていた。不法投機された精米機には、たくさんのドライフラワーが生けられて(?)いる。あとは、石とか岩とか、木の実、木の枝、土や苔。
私はドライフラワーin精米機が気になった。メンバーがそれを発見したときには、すでにそれに近い状態だったらしい。精米機に最初に枯れ草を入れたであろう人のことを想像した。その行為の痕跡にメンバーはアートとしての価値を見出したのだけれど、願わくば、最初の人が、そんな意図とはまったく関係のないところで、不法投棄された精米機を流用したのであってほしいと思った。
隅田川にかかる橋の名前や建造年の一覧も貼り出されていた。来場者から集めた川の記憶や未来の川への願いも貼り出されていた。来場者の書いたものがけっこう面白かった。世の中には、たくさんの川と橋があって、それぞれにはさらにたくさんの物語がある。「橋」「川」という言葉(記号)から、固有名を持った思い出が樹形図のように分岐していくイメージを思い浮かべた。…と書きながら今思い出したこと。新宿でのミーティングで、「本」と「木」のこと、中島くんが話していたっけ。
全体を見て、私は「調査的」という印象を受けた。「調査的」というのは「実験的」という言葉との対比で使っている。そこにある情報をそのまま持ってきて結論を述べるということ。環境を操作しないということ。「ゴミを集める」といえば、中島くんは韓国のアートプロジェクトで、地元の人がゴミを集めて売っているという習慣に目をつけて、町のゴミを集めて韓国屋台を作った。中島くんの制作現場は、彼がストックした材料がきっかけで、やがて新しいゴミ捨て場になった。そして、労働者たちがそこにゴミを拾いに来るようになった。私はそういうのを「実験的」だと思う。同じ「ゴミを集めて制作する」でも、両者はまったく異なる意味を持っている。
こんなことを考えたのは、そこに行ったそもそもの動機が、来月、遠藤さんが指導するワークショップの取材の下調べとして、彼がどのように世界を見る人なのか、何をしたい人なのかを知りたかったからだ。ただ、それだけじゃよく分からないなと思った。私は遠藤さん本人と話したい。
私が全体を見終える頃、スタッフは海野さんだけになっていて、中島くんと私以外はお客さんもいなくなっていた。さっきの音楽は、水の流れる音にいつのまにか変わっている。その全体が奇妙に感じられて、本物の隅田川では今どんな音が聞こえているのかを想像しようとしたけれど、全然想像できなかった。それで「あぁ、私には大きな川の記憶がないんだ」と気づいたの。
閲覧資料が置いてあるテーブルに透明な容器が置いてあって、その中でメダカの赤ちゃんサイズの何者かが泳いでいた。採取した水(さっきの番号が振ってあるビンの160番)から孵化したらしい。私はその160番を見に行った。そこそこ透明な水だった。他にもまだ孵化していない何者かが入っている水があるのかもしれない。あるいは、藻や木っ端などが混じっているビンでは、誰も気づかないうちに、何者かが大きく育っているのかもしれない。
そんなこんなしているうちに、海野さんと中島くんはおしゃべりをはじめていた。私もおしゃべりに加わっては抜け、なんとなく耳を傾けつつ、閲覧資料をめくる。中島くんの名刺を見て「野球やってるの?」と海野さん。海野さんも最近野球をやっているらしい。草野球の話で楽しそうなふたり。私は野球には全然興味もなかったけれど、その会話を聞いてちょっと楽しくなった。
海野さんは、「一郎くんは連凧もやっていて、隅田川の水で紙すきして作った凧に、地元の人に夢を書いてもらって、隣のビルで展示してるんだ」と教えてくれた。教えられたロビーに行ってみると、黄色い尾っぽの凧が下がっていて、そのなかには「3331がすてきな場所になるといいな」という夢も書いてあった。いろんなことがつながっている。
ここまで書いてやっと1時間分だよ。約3000字。
ロビーのソファに座って、私は、渡良瀬アートプロジェクトの作品プランのことを中島くんに尋ねた。「星がテーマなんだ」と彼は言った。「プラネタリウム。その星を貼るのをみんなでやる。昼はカフェみたいで、夜はカップルが来るような雰囲気。誰に対してもオープンではなくて、会員制みたいな場所にしたい。濃密にしたいんだ」と。そして、今日、私が中島くんと会うことになった主目的の「本を開くという物語が集まった図書館という物語を作る」という話に絡めて、彼は続けた。「ペア、ふたりなんだ」「本と星は似てるんだよ」「伝えること、わたしがあなたに伝えるということを作品にしたい」「前に郵便局って言ったけど、そういう拠点を作ることを考えてる」
私には、本と星の共通項がふたりの間の伝えるという行為であるということは、正直これっぽっちも理解できなかったのだけれど、彼の話を興味深く聞いていた。そのときの彼の表情や身振り手振りは、今日一日の出来事の中で、いちばん覚えておきたいことだった。なぜなら、それは、私にとって「世界が拓ける」経験だったから。本と星に共通項を見出す思考回路を持った人間が目の前にいるという発見と、そのとき同時にやってきた驚きと嬉しさと悲しさを通して、私自身に対して発見があったから。そのとき私には「トン…トントン…」という音が聞こえていた。ロビーにあった金属のオブジェが、心臓の音をたてていたのだ。
それから私たちはまた橋を渡ってスタバへ行った。中島くんはピンクのタンブラーを持ち歩いていて、カフェではそれに飲み物を入れてもらう。こないだの西日暮里でのミーティングのときもそうだった。そういう周辺的なことに思考が捉われて、最初のほうの話は何だったか覚えていない。その後シェアした情報は議事録風の体裁で箇条書きにでもしておこうと思う。
本づくりワークショップミーティング
日時 2010年7月20日16:30-18:00
場所 浅草のスタバ
・ プロセスを記録しておく。アイディアが生まれてくるプロセスには、膨大な対話の時間がある。それを記録しておきたい。交代でブログを書くのはどうか。
・ ワークショップのデザインにおける条件設定。誰がやっても一定のクオリティを保てるデザインにする。
・ それぞれの貢献の仕方。
中島:美学的な部分、面白く広げるアイディアで貢献したい。古本をたくさん集める。
石幡:子どもの動機づけや意図を読み取ること、子どもが自分なりに環境に手を加えようとする行為を支援する働きかけをしたい。また、そういう視点から、プログラムを評価したい。分析を手伝ってくれる学生を集める。
・ ルールからの逸脱をどう許容しどう制御するか。コンセプト内に収まることならばよいのだけれど、コンセプトをはみ出すとき、美学的にそれはNGという逸脱のとき、それをどうしたら納得してもらえるのだろう。
・ 同じことをやっていれば、当然飽きてくるし、その結果としてルールからの逸脱、サイドストーリーはありうる。そのとき、面白くジャンプアップできるといい。その事態に直面して、私たちがそれをどう捉えて何をするかということと、その結果としてどこに行き着くかというプロセスを捉えたい。
・ 異分野でコラボすることの面白さは、それぞれの目的意識が交じり合って創発がおきることにあると思う。力の合成のように。そのためにはそれぞれの立ち位置(分力)が大事。例えば、フィールドワークの扱い方の違い。
中島:データから妄想を広げる。
石幡:分析して収束させる。
・ 今後のこと。
石幡:今月末、アーティスト・イン・児童館の臼井くんたちに会ってくる予定。なんとなく話を持ちかけてみる。
中島:30日までに企画書作る。
2時間の内容はざっとこんな感じ。ただ、私がいま書きたいのはそういうものではなくて、その周辺にあったことなんだ。
私は、話をしながら、「どうして中島くんとワークショップをやることになったんだろう?」と考えていた。中島くんはアートというバックグラウンドを持ち、連想、言葉遊び、妄想を道具に、人と人が集まる場とみんなで作る体験をデザインしてきた人だ。私は、心理学というバックグラウンドを持ち、科学的根拠、仮説、検証を道具に、人が未知の世界に出会うためのインターフェースをデザインしてきた。中島くんは感性の人だと私は思うのだけれど、彼が言うには理屈っぽいらしい。確かにファイン系の人たちと比べたら理屈っぽい。私は、科学コミュニティの中では感性寄りだと思うけれど、アートコミュニティの人たちと出会って、理屈の人間だということを自覚した。
こんなふうに異なる始点から異なる方向へ向かう2本のベクトルがあって、その交点を求めることが、先の問いについて考えることだった。そのとき、中島くんが力の合成の話をしはじめて、それはまさにベクトルの話だから、「そうか!」と思った。交点を求めるその先に、合成ベクトルがあるのだと思った。彼と協働することになった経緯や動機がベクトルの交点ならば、彼と協働で作るものは、その交点を始点とする合成ベクトルなのだろう。…こういうふうに私は数学を使って説明する癖がある。
5000字を超えて、そろそろ書くのも疲れてきたし、読むほうも疲れてきたと思う。けれども、まだこれは巨視的だと思う。もっと微視的に書きたいと思う。微視的な文章というのは、ある行動をしている自分と、それを意味づける自分、その思考の根拠を探る自分と…が、入れ替わり立ち代わり現れるような文章だ。それがたぶん、私たちが、ここでやりたい、「そのとき考えていたことと、その考えに至った膨大な背景」を記録することなのだろうと、今の時点で私は考えている。
石幡