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<図書館>の日常がオープンしました。

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<図書館>がオープンして10日が経ちました。というかもう12月ですね。
時間の早さが恐怖にも変わる季節になりました。

さて、すっかり閑古鳥が鳴いている松戸アートラインプロジェクト2010ですが、<図書館>にはまちの人達が少しずつ入り浸ってくれるようになりました。まちの生活スタイル上、1日中いる人ってのはいないのが残念ですが、塾の行きと帰りにそれぞれ寄ってくれたり、仕事帰りに立ち寄ってくれたり、一瞬でもここを訪れてくれるのがありがたいです。

図書の貸出も、中島の予想を遥かに越える数になっています。学校の図書室や市立図書館が近くにあるのに、<図書館>で借りる意味ってなんだろう?と思ってしまうほど、みんな借りて行ってくれます。それらの図書館より近くて手軽ってのもあるんだと思うけど、ある種の「ごっこ遊び」なんじゃないかって思いました。今までシャッターが閉まっていた場所が、開く、という事件性と、自分たちの生活圏内に突然私立の図書館ができるという違和感が、少しずつまちの人達の興味を<図書館>へ向けているような気がしました。その事件性と違和感に、自分たちが関わるという面白みへの参加が、<図書館>で図書を借りてみる、ということなんじゃないでしょうか?自分たちもこの事件と違和感の登場人物になる、とも言えると思います。

<図書館>は僕にとってはかなり実験的なプログラムです。
・サイドストーリーの収集と記録の場とシステムとしての図書館
・美術のプロフェッショナルではない人達と作り上げるワークショップとしての空間
・地域に密着する意味(地域密着型アートプロジェクトと地域系アートプロジェクトは違うかもしれない。)

展覧会が始まってから今日まで、1日多くても20人くらいしかお客さんが来なくて、モチベーションが上がっていませんでした。はっきり言って松戸アートラインプロジェクトは、集客と言う観点で言えば大失敗をしているプロジェクトです。(集客数は、アーティストと地元の住民にとっての、モチベーションの源になる。)でも僕らの作品は東京からたくさんのお客さんが来る性質のものではなく、地元の方々が来てくれることにこそ意味があります。アートプロジェクトと地元をつなぐ、という意味も持てるかもしれないけど、そこまでプロジェクトのことを知らないという問題点もあります。だから、いかに僕ら一組のアーティストが、地元に密着をして、その関係の中でどのような活動をするのかが重要なんだと思います。

そして今日は、<図書館>という場の意味が自分の中で変わった瞬間でもあった気がしました。
今まで数回来てくれていた地元の小学生達も塾の行き帰りに立ち寄るのが普通になってきたような雰囲気を感じたし、近隣の住民の方々も、"違和感"へ恐る恐る足を踏み込んでくれた方がいて、「また来ます。」と言っていかれたり、たまたま紅茶を入れたタイミングにいた方に紅茶を出してお話ししていたら、本を借りて帰ってくれたり、松戸のこの場所で<図書館>をやっていることが、イベントではなく、「日常」に近いものになっているような気がしました。
うーむ、ハレとケの関係で言えば、作品がケになってしまうことは、ある種のつまらなさのような気もしますが、非日常が日常に還元されていくというのではなく、非日常的イベント的出来事が、日常的出来事に成り下がっていく、というようなイメージ、なんかこれ、ちょっと可能性を感じます。何か気になります。

このことについてはまた書きたいです。

中島佑太
東京都足立区より


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